バスの振動に身を委ねる。
窓から見えている空の色は透き通った青、もこもことした雲はすぐに形を変えた。
目的としていた停留所で降り、手に持っていた荷物を足元へ置きすうっと息を吸い込むと、どこかひんやりとした空気に満たされて新幹線とバスの乗り継ぎで溜まっていた疲れが入れ替わり引いていった。バスの冷房で冷えていた体が外気に馴染み、東京ではあまり感じることのない匂いを嗅ぎ取る。心地がいい。
生き返ったような気持ちで足元を見て、大きな塊の主張を受け取る。ゼミの関係で一緒に来ることができなかった夏希に東京から頼まれて持ってきたものだ。それから自分でも用意した手みやげがいくつか。腕についたあとをするりとさすって見渡した。坂道の上に立派な門。そこから子どもたちの声が弾けていて、健二は陣内家へ来たのだなと顔がゆるんだ。
健二を下ろしたバスは排気音をたてながら走り去っていくのを見送る。日差しのきつい、穏やかな夏の日。
「あっ健二にぃだ!」
「あー!」
遠くなるバスを見送り荷物を持ち上げようとしていると、背中にどんっと衝撃を受けた。
「うわぁっ」
よろめきかけるが耐えて荷物に手を置き、抱きついて来た子どもをみた。髪をくくった女の子。
「真緒ちゃん。みんなも。久しぶりだねぇ」
その後ろを加奈や裕平らが走り寄って来ていた。
「……ちょっと見ない間にまた大きくなってるの……?」
揃った子ども達を順に見回して、その成長に驚く。会うたびに変わっていくのだ。育っている自分は気づかないまま、大きくなる。
「それ前も言ってたぞ健二」
「トシだな、トシ!」
「トシー」
はやし立てられ苦笑を浮かべたる。こういうところは変わっていなかった。
「おっさん」
恭平がぽつりと言ったのがだめ押しで、さすがに否定した。
「いや、まだ。おっさんじゃないからね。お兄さん、おにいさんだから。21だから」
健二は抱きついていた真緒の頭を撫でた。汗が滲んでいる。真夏の外で遊んで居ればそれも当然だろう。気にならない。
「ねぇ、なんでこんなに荷物持ってんの? 一緒に持っていこうか?」
「真緒ちゃんはすっかりお姉さんだね。大丈夫持てるよ」
「本当に? こけたりしない?」
「しないしない。ぼくはどう思われているの」
手を振り答えると真緒は可愛らしい笑みを浮かべて言った。
「ええと、……ユカイハン?」
「ユカイハンー!」
「……きみたちユカイハンの意味、分かってる? 勉強したー?」
荷物にまとわりついた子ども達に健二は聞いた。緑の風に吹かれて自然と笑みはこぼれる。
真吾と祐平が手を止めて顔を見合わせ頷き合った。
「したよな」
「なぁ」
その様子を見上げていた恭平はふと視線をそらして、荷物のそばにしゃがみこんだ。ナイロン袋から飛び出しかけている玩具に関心があるようで取り出していた。横に加奈も同じように座り、袋に手をだしつつ健二を見た。
「おかあさんに聞いたよ?」
「ほんとかなぁ加奈ちゃん」
笑って言い荷物を持ち上げる。子ども達もそれぞれ協力し合って荷物を持とうとした。恭平は気に入ったらしい玩具を持ち、坂道を駆け上がる。祐平と真吾は大きな紙袋の持ち手をそれぞれ支えて歩き出した。
小さな袋を手にした加奈は真緒と手を繋ぐ。
「ほんとだもん。真緒ねぇも聞いてたよねぇ?」
握った先の彼女へ問うように加奈が言って、真緒は頷き荷物を持ち上げて笑った。
「うん! あのときにユカイハンなんて誰もいなかったってことでしょ!」
●
いくらかの荷物を持っていたところで子どもたちは元気だ。持って来た手みやげというには大きすぎる荷物程度では足枷にもならないらしい。
大半を子ども達が運び、残っていたのは大きめの袋が一つと肩から下げていた鞄。両手いっぱいに持っていたのに片手で収まる量になっていた。
門を抜け玄関に向かう。
奇麗な青に白く光る太陽。眩しくて気温は高い。けれど湿気は少ない。通り抜けるように風が時折吹く。
光のきらめき、蝉の鳴き声。ハヤテが尻尾を振って出迎えている。
「元気そうだねハヤテ」
ワン、と一声、足を止めて撫でるとぺろりとなめられた。
真吾の呼ぶ声がする。
「ケンジおせぇぞー!」
「呼び捨てにしちゃだめなんだよ」
「………健二にぃ、おせぇ!」
年下の、おそらく加奈にたしなめられた真吾がやけくそのように言い直す。ハヤテが健二から離れてくるりと一回りして軽く吠えた。青空に笑い声が響く。
玄関に着いていた子どもたちは靴を脱ぎ散らかしてあがっていった。
板張りの廊下がはずむ。
屋敷内へ足を踏み入れると体感温度はぐんっと下がった。
今まで明るいところにいたせいで少しばかり目が眩む。
ひんやりとした静けさは記憶と変わらなかった。初めて来た時は圧倒された佇まいも。
実のところ今でも少しばかり構えてしまうこともあるのだが、それでも健二は知っている。いつかの夏に思い知っている。なんともない顔をして受け入れてくれた人々がいて、健二が訪れるのを当然のように待ちわびてくれていることを。
多くの人に囲まれてこなかった健二にとって、懐かしいとは言えない。けれど、そうだ。求めているものに近いところだ。憧れを抱いている。
玄関には真緒が座って待っていた。
「おっそーい」
「ははは、トシだからねぇ」
ばらばらと散らばっている靴を避けて真緒の隣へ腰掛ける。
「それジジくさい」
嫌そうな響きに、少女を見ると顰められていた。無言で見返すが、真緒の視線は外れない。飾り気のない台詞とともにそれが健二の心臓へ一直線。
「……真緒ちゃんはなにしてるの?」
気を取り直して紐を解き靴を脱いだ。ずれていた靴下を上げてから靴を脇へ寄せる。
「その荷物持ってくの手伝いに戻ってきた」
「これ? 大丈夫だよ」
「それおばさんたちに言って。みんなちくちくしてるから」
「ちくちく?」
ついでに他の靴も並べて寄せる。広い玄関に散らばる靴というのは健二からすると物珍しい。
「健二さん」
「あ、はい」
背後からの声に、隣の真緒がくるりと振り向いた。
健二は返事をしたものの、まだ靴を並べきれていない。やりだすと止まらないのが健二で、だから耳で二人の会話を拾う。
「ありゃ。サイズ直し終わったの?」
「まだ。これ仮縫い」
「うげ、針着いたまんま? 脱いで来たらいいのに」
「チビたちが走り込んで来たし、なんかひっくり返してて騒々しいのにやだよ。あ、土産みたいだったからほっといたけどよかった?」
よし、と整然とした並びに満足して健二はようやく身を起こして後ろを見る。
「うん、壊れて困るようなのこっちだからいいよ。みんな来るの早いんだねぇ。佳主馬くんも締切りがって言ってなかったっ……け? はい?」
居たのは屏風へもたれるようにしている佳主馬で、消えそうになる語尾を気合いで繋げて凝視した。
「うん、早く来たかったから頑張った。余裕」
健二はぽかんと見たまま呟いた。
「きもの?」
よく似合ってはいるが、仮縫い。どうして彼がそういう姿になっているのかわからない。予想外だ。
当然のように言う佳主馬に真緒が悪戯を告げるように笑った。
「処理速度がどうのって言ってばあちゃんの部屋に篭りきりだったくせに。余裕?」
「……だって段違いだし、あれ」
どこかばつが悪そうな佳主馬は健二へ向けて手を伸ばす。
「貸して、それ。持つから」
「あ、うん、え、いや、持てるよ、ってか、なんで格好、え?」
手のひらに手を重ねて握る。握手。
「ちがうよ健二さん、荷物。それとも健二さんを持たせてくれるの?」
佳主馬がやけに嬉しそうな笑みをこぼす。
何度か手のひらが上下に移動するのを見ていた真緒も混ざってぱしんっと叩いた拍子に健二の手は落ちた。が、気にならない。手は無事に床へ着地する。
「いや、あの、なんで、佳主馬くん?」
「なに? ……おかしい?」
「えー、なんで。かっこいいよね、健二にぃ」
言われたことを否定する理由もなかったので素直に頷き、改めてじっと見つめた。
奇麗な顔立ちを長い前髪で隠しがちだし、雰囲気もどこか近寄り難いところもあるが武道を嗜んでいるせいか凛としている。それに加えて細身で長身、つまりバランスがいい。
最近の若い子の発育って、と自分と比べてしまうがそう思うだけ無駄かと思い直した。同じように羨ましさを感じるが、恐らくそれも悩んだところで仕方のない領域だ。
「びっくりした。着物、浴衣だよね、それ」
涼しげに紺の浴衣を着流す佳主馬は、陣内家の屋敷とも相まって情緒があった。日本の夏だ。
「お祭りが近いんだよ。みんなで着るって」
「真緒ちゃんも?」
祭りと言われて駅に貼られていたポスターが浮かびあがる。8月1日。夏祭り。
「花火の柄のね、かわいいの」
「そっか、いいねぇ」
言って撫でると、嬉しそうに眼を細め、声を立てて笑う。
「健二にぃのもあるよ。だから母さんたち縫い物してんだもん」
真緒が答えたとき、たたたと、と奥から走って来たのは佳主馬の妹の美佳で、そのまま佳主馬に突撃した。難なく受け止めたものの、佳主馬は距離をとろうとする。意外だった。彼は歳の離れた妹をとても可愛がっているのに。離そうとされている美佳はそんなことを気にもせず見上げて言った。
「おにいちゃん、万里子おばさんが呼んでるよ。脱ぎなさいって」
「……佳主馬にぃ、針ささった?」
真緒がぽつりと言う。
「あ、なるほど。仮縫い」
佳主馬を指差して、正確には佳主馬の浴衣を指差して真緒に言えば頷かれた。
目の前の、良く似た兄妹は微笑ましい。
「はり?」
「ん、なんでもないよ。伝言ありがとな」
「えへへ。健二にぃも、おばさん呼んでるよ!」
そう美佳が言い、佳主馬から離れて健二を引っ張る。
ホッとした様子の佳主馬に深く触れずにおこうと考えていたら、美佳の後ろから佳主馬が手を伸ばしてきた。
「健二さん、荷物」
有無を言わさない強引さに引きずられるように言われるがまま鞄と紙袋を渡した。
美佳を過度にひっぱりすぎないよう、気をつけて立ち上がる。
開けた引き戸から差し込む光、見ていたハヤテはすでに視界にはいない。
眩しすぎる外を肩の向こうに見ていたら焦れた真緒にせかされる。美佳は健二の手を握ったまま伺っていて、佳主馬が声をかける。
「なかはいろ」
その響きに、陣内家へ着いたのだと改めて思った。優しさと、強さがにじむ声。それがここには相応しいし、けれど、なぜか妙な座りの悪さを感じた。佳主馬を見るがどこか変わった様子を見つけられなくて気のせいだろうと判断した。残った違和感は身じろぐことで振り払う。
夏が始まる。