始まる目眩始めた 3

 

 

 夏がきた。

 大地に落ちる陰影は濃く鮮やかで、陽の光がその強さを主張していた。漂う空気そのものが熱を帯びているようだ。 ただそんなことも一歩、屋敷の中にはいるだけで体感温度が段違いに変わる。
年を重ねるごとにその思いは強くなっていてそれが温暖化の影響でのことなのかそうでないのかはわからないが、この屋敷は過ごしやすかった。
 脇に抱えていたノートパソコンをなんとなく持ち直す。電子機器の進化は早い。当時は最新を誇っていたそれも、外装だけで判断すると今では時代に取り残されてしまっていた。ただし当時とは既に構成が別物で、スペックこそ本家のマシンに適わないが佳主馬好みのチューニングを施している為に、使いやすさで勝っている。

 目当てとしていた書斎の入り口で先客がいることに気づいたがかまわず入って立ち止まる。いい年をした子どものような大人がモニターの前であぐらをかいて座っていた。
4年前であれば躊躇しただろうその距離にも随分慣れて、時折見せる見透かしたような表情を苦手とはしているが母や祖父と話している様子だけをみれば数多い親類の一人で、そうなってみると遠慮をしてみせようかという相手への気遣いは瞬く間に消え失せた。
書斎という名に相応しい本棚には日焼けした本が並ぶ。何度も読み込まれた絵本や、くたびれたエッセイ、ハードカバーの装飾された哲学書など様々な本があるなかに見慣れない分厚い情報技術の専門書を見つけた。元々あった書籍と背を同じにして並んでおりちぐはぐとしていた印象を受け、けれどそれ以上はない。まわりと馴染んで新旧を感じさせずそれが少しばかり不思議に思うが、すぐに思い直した。本棚を家、並んだものを人と考えれば謎などどこにもなかった。
「おじさんなにやってんの?」
「メンテとバージョンアップ。はやいな佳主馬。休みになったばかりなんじゃねぇの」
体はモニターに向けたまま、顔だけを佳主馬のほうをちらりと見てまたすぐに戻す。天井から人工の明かりが部屋を照らし、その反射で良くは見えないが画面にはなにかのプログラムソースがいっぱいに広がっていた。
「うちにいてもやることないし。それで遊ぼうかと思って」
「おー、使いつぶせつぶせ」
そう画面を見ながら答える、電脳世界で魔法使いとも呼ばれる親族の後ろ姿はどこからどうみても細身の中年だった。
蝉の鳴き声がカチカチと侘助がキーボードを叩く音にまぎれている。
「おじさんこそなんでいるの」
「だからメンテだって」
「じゃなくて、仕事は」
「アメリカの休暇をバカにするなよ、家族に会いにいくっつったらまとまった休みくらい簡単にくれるぞあっちは。こっちはそうはいかねぇみてぇだけど」
「知らないよそんなこと。関係ないしさ」
「ああ、まだ学生なんだったな。っと、忘れてた入学おめでとさん」
「どうも」
タイピングの音がしばし止む。指先がコードを追い、一点で静止、そこを睨むように考えまたタイプが再開される。流れるように文字が画面に浮かび次から次へと浮かび進む。
それが良く見える本棚の前で座ると侘助が目の動きだけで佳主馬を見て、わずかに体をずらせてシシシと笑った。侘助が移動したおかげでより画面が見やすくなるが、頓着をしない。白く浮かび上がっている文字列は理解できる部分とそうでないところが混じり合い、興味深い。
「これさ、俺の知らねぇのとか入ってんだけど、触った?」
「春に入ってるやつなら僕。健二さんもせっかく出来るんだからって遠隔でなんかしたっていってたよ」
「ほー、春ねぇ、来たのか。……ああ、これだな」
さきほどまで確認していたソースを最小化し新規でコードを開き侘助がふんふんと、頷いたり首をひねったりしながら読み進んでいった。
プログラムは目的とした事柄を問題なく実行することが出来れば完成品で、その点は問題なくクリアしている。
結果に至るまでの過程を、魔法使い、ウィザードと言っていいプログラマに見られていた。ソースコードからは人それぞれの特徴、個性が、読み取ることができた。自身を覗き見られるような感覚。
「わりとえげつねぇもん作るね佳主馬。誰から習うんだこんなの」
「誰からって……」
「んで健二はなにしたってー?」
お手本が目の前に、と言おうとした佳主馬を遮ってプログラムを確認する侘助が言った。「侵入プログラムを侵入しかえす?」とぼそりとした独り言が聞こえたので、続けたところで聞かないだろうなと、は、と息をついて答える。
「健二さんは佐久間さんとなんか作ったって言ってたよ。何を作ったかまでは聞いてないけど早めに来てその動作を見たいんだってさ」
「そりゃ見たいだろうさ、自分でやったことくらい。……良く知ってんな佳主馬」
「まぁね」
 知っているのは知ろうとしたからだ。
色々と理由をつけて足掻いて、あれこれ口実をつけて誤摩化して、そのどれもが上手くいかずにだからそういうことを全部やめたのがほんの数ヶ月前。まとめてみれば、なんと短い葛藤か。それを4年かけて無理なものは無理だとようやく受け入れた。無駄だったとは言わない。もったいなかったとは思う。
「これもな、お前のとはまた違うけどな、まぁ、好き勝手しました具合がおもしれぇけどな……ほんとどうすりゃこんなの出来んだ」
新たに健二のソースを開いたらしき侘助がぼやいた。佳主馬は隣にあった本棚にもたれる。液晶には佳主馬など比にならないくらいの文字量が映し出されていた。少し意識して追いかけると回りくどい記述があるが、それが例えで示されたことなんだろう。
健二が求めた美しさだ。
「だからお手本が何いってんの。鏡もってこようか自分の顔でも見てなよ」
「だーかーらー。俺のどこを見習えばこんなもんが出来るっていうんだよ。おまえも健二も何みてんだ」
「人工知能に知識欲を持たせただけって言ってた人に言われたくないよ」
「……口の減らねぇ」
「そのまま返す」
「口の減らんやつだなほんとに! 末恐ろしいばかりだね、お前らは。まぁいいけどさ。存分に使えよほんとにこれ。一台や二台壊してこそだろプログラマなんてもんは。いやでもしっかしおまえらは似てないようで似てるよなぁ。俺に似てるとこらもあるからか? いや、でもなぁこれはな……ほんとここで良かったと言うべきかもな」
考えてみれば似ているのだろう、その性格も考え方も。
健二と大叔父に似ているところがあるように、佳主馬と侘助にも同じことが言えて、万里子がなにげなく言ったことから親族も同一の見解を抱いていることは察せられた。
同じではない。似ている。自分たちと大叔父の違いはラインを乗り越えたかどうか。そしてその一線を補強する本家の書斎。
「なに?」
「いいや、ばぁちゃんの部屋じゃ悪さできねぇだろ」
「しないよおじさんじゃないし。ってかむしろここだと半端なこと出来なくてある意味しんどい」
「お前はさっきから何が言いたいんだ。いや、いい答えなくて。俺はもう大人だから受け流す」
「おじさんってすごいなーって子どもらしく全力でつついてるんだよ」
「そんなことを言うやつはガキじゃねぇよもう」
「大人げない」
「うるせぇ」
 子どもじゃない。大人じゃない。そんなくくりにいないのだから当然だ。その時々でしたいことをしたいようにする。いくつになろうともいくつだろうとも、変わらない。共通点だ。
 しっかしなぁ、と侘助が続けたのでコードを見るのをやめ画面ではなく声の主を見た。佳主馬が苦手としている表情を浮かべておもしろがるような目で、やっぱりなにかを見透かして見ていた。内に秘め隠しているものを、隠れてなどいないとばかりに突きつけていた。
複雑な環境とやらのせいで、侘助はおそらく他人の気持ちに敏感なのだろう。今なら佳主馬も何が不快に思っていたか分かる。わかったところで愉快にはならないが、それが分かる。わかってしまった。
「それにしても、だ。相変わらず仲いいんだな」
 見えないように見ないように佳主馬ですらそんな扱いをしていた気持ちを、侘助はものともせずなぜ見ないとばかりに見ていたから、だから苦手だった。
「うん、大好きだからね」
 発した言葉はそのまま自身の耳へと入り、一番落ち着くところで堂々と居座り、彷徨わせていたときを思い出し、逃げもせず背けもしない自分自身にようやく充足ができた。
今までを取り戻すようにせっせと懸命に連絡を取って、真っ正面から己の気持ちと向き直って、欠片も余すことなく全力で立ち向かった。どうしようもないものはそういうもので、どうしたいかといえば答えは一つで、言われた言葉と笑みに含まされた意味は今更で、こみ上げる感情そのままに唇の端を持ち上げて満足げに笑ってみせれば人をくった笑みをやめ、侘助が滅多に見せない驚いたポカンした顔で佳主馬を見ていた。だがすぐにそれも消え先ほどまでとは違う、にやりとした笑みがにやにやと浮かんだ。
「いい顔で笑うようになってまぁ……俺も年を取るわけだ」
「おっさん?」
「だまれゆとり世代」
 苦々しげに言われて吹き出しそうになる。話題を変えた。
「それでそのメンテっていつ終わるの?」
「そうだな、さっき始めたばっかだしな。ログの洗い出しと……不正アクセスの痕跡もあるしそっちも調べるとして、明日、いや明後日……ま、3、4日くらいか」
「ふーん。健二さんにメールしとく」
 携帯をポケットから探りだす。春からこちらOZを初めとして電子を媒介とする連絡の頻度が増えた。
あの人が思うもののなかに考えるもののなかにわずかでもいいから自分のことが入っていればいいと思うところからの欲求で、それに反しようなどもう思いもしなかったから呆れるくらい程素直に従った。
「ああ、そうだな。……なんで携帯二つ眺めてんの」
「健二さんが喜ぶほうで送ろうと思って」
「最近の若いのの言うことがわかんねぇ。喜ぶってなんだよ」
「だってどっちにしても嬉しがるし。おじさんならどっち」
背の高いウサギと低いウサギがそれぞれいる待ち受け画面を二つ並べて見せた。ひとつは動き少なく落ち着いた様子で座り、残るもうひとつはひょこひょこぽてぽてと動き回っている。どちらもそれぞれをイメージしたAIを組み込んでいるからの違いだ。
「……おま、これ。いや、まじで好きだな?」
しししと侘助が笑い、佳主馬は肩をすくめた。何が好きかとは聞き返さなかった。侘助からは好きにすればと言われて、佳主馬は数瞬だけ悩み、キングで届けることにした。どちらにしても佳主馬だ。
健二に嬉しいと喜んでもらえると思えば心が浮き立つ。
だけど痛みも悲しみも、怒りも、そのほかのなんだって抱く感情ならばそのすべてに入り込んでいたい。
一番望むことは幸せになって欲しいとそれだけだけど、その幸せには一つだけ条件がついた。
たったひとつ。
「うん。うん、好きだよ。悪い?」
「いーやー? ああ、でもそうか独占欲かそれ」
見抜いた侘助にはもう驚かないし苦手だとも思わず、ひっそりと微笑んだ。
それだけならどれだけいいことか。
「……いい目してんなァ、まるで熱病みたいなさ。なぁ少年」
たったひとつ。ひとつだけの条件。
それを望む、望まれたい。欲しい気持ちがある。
全身を夏の熱が侵す気がした。

 

 佳主馬が到着して数日、健二が本家へ着いた。書斎に侘助が篭って3日目のことだった。

 青い空に浮かぶ白い雲に触れることが出来れば確かな感触を返してくるのではと思えるほど形がしっかりとしていると現実逃避のように、納戸の入り口で佇む健二の後ろに広がる風景を見てそんなことを考えていた。
「佳主馬くん?」
呼ばれていることもきちんと認識している。
メールや電話、OZ。遠距離ながら近しく連絡を取り合ってはいたが、実際に会うのは春以来だ。
会いたかった、会って話をしたかった。顔を見て話したかった。
言いたいこともたくさんあった。聞きたいことだっていくつもあった。
「おーい? どうしたの?」
なのに顔を見た途端、何一つとして言えなかった。
脳裏に浮かぶ言葉はひとつだけ。覆い尽くされている。言いたい言葉はほかにも色々とあったはずだというのに、だ。
俯いて顔に片手をやり顔を隠す。あまったほうの手で耳に当てていたヘッドフォンをずらすと、耳元で反響していた音から解放された。
体中の血液が顔へ集まってきたのではないかと思うほど、熱い。
すぐそばでしゃがんだ気配がした。ますます手を顔から離せない。
「ちょ、見ないで」
はじかれたように引いた気配で、失敗したことを悟る。言いたいことも言えないくせに選んだ言葉が間違っているとは冗談にもならない。
「ごっごめん。あとでまた来るよ、ごめ」
「じゃなくて、ごめん違う。行かなくていいから」
(なんで前まで僕はこれで平気だったんだ)
だけど、こうなるような気もしていた。こうやって眩むような気はしていた。
「好き、だなぁ」
「え? どこからそんな話に繋がったの? ……良く分かんないけど、ぼくも好きだよ?」
問い返された声を目を閉じて聞く。蝉が夏を主張する。心地の良い音の並びだ。佳主馬と同じ音を発しているのに意味が違う並びをそれでも体内に取り込んだ。だけども、足りない。
(全部、欲しいなぁ)
手を伸ばして捕まえた。
骨に薄い皮膚が張り付いて、温かな手首だった。もしくは佳主馬の体温が低いのか。春とは真逆で、春にも思ったが佳主馬よりも細い手首を握りしめて、血の気が若干さがって冷えた顔を勢いよくあげる。
「健二さん、痩せた? 食べてなかったの?」
「え、いや、食べてた食べてる。食べてます」
「なんで視線が泳ぐの……」
「いや、だってなんか怖いから」
きょろきょろと佳主馬を見ようとしない姿に笑えて、だけど笑えなかったのは憧れでは騙しきれなかった、その心の向かった先はこの人でしかなかったからだ。
「僕にさ健二さんをくれたら健二さん以上に大事にするんだけど。だめ?」
そう、大切にする。ぜんぶ余すことなく、力いっぱい全力で。
「はは、だめもなにも申し訳なさすぎるよそれ。キングファンに殺されそう」
声に潜む意思には気付く様子はない。それでよかった。今は、まだ。だけど流されてしまったことで、気付くこともあった。同じ言葉なのに、同じ意味をしていない。
 ひとつだけが欲しい。ほかに何かあったとしても、そっちはいいからひとつだけ。

 

 夏がきた。
はじまったばかりの、夏だ。


 

 

 

>>>目眩前    四ねんめの ふゆ

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