始まる目眩始めた 1

 

 

 暦の上では春だが、まだ寒い。気温は低いがどこかで花でも咲いているのか空気は甘く、夜明けは冬に比べて早くなってきた。
白み始めた空を、佳主馬は照明を消しているため薄暗い数寄屋造りの書斎から眺めた。
老いも若きも関係なく親族が本気で取り組んだ末に完成したハイスペックマシンを目当てに高校入学までのあいた時間を利用して、佳主馬は本家に来ていた。ある意味で道楽の結晶だ。
 夜通しパソコンに向かいプログラムを組んでいたので体が固まっているような錯覚を覚える。ほぐすように軽く肩を揉んで、敷いていた座布団をずりずりと引きずり体を伸ばすついでにうつぶせた。
「さすがに…つかれた……」
呟いて座布団に顔をおしつける。ちゅんちゅんと聞き慣れた雀と、それに呼応するよう聞いたことのない鳥がさえずりを響かせている。早朝だ。しばらくその音を聞いていると、稼働したままのパソコンの音が無性に気になり身を起こしてシャットダウン。低く稼働音を響かせていたそれが静かになった。

 もともと本家には理香のノートパソコンがあったがひょんなことでタワー型が増えた。購入して7年程たとうかというパソコンは動作が遅くなっておりその不満を理香が電子機械に詳しい太助や侘助へ訴えて、それがいっそ新調しようという運びになったのは、年を重ねるごとにプログラマとして目覚ましい成長を遂げている佳主馬や健二、それにまだまだ現役として鳴らしている侘助の存在が大きい。
 タワー型になった理由は、生半可なスペックでは皆が満足できるものにならなかったからだ。それならば市販のものを購入するよりは自分たちで作ったほうが早いという話になってハードは太助が、オペレーティングシステムを健二が、ツールは佳主馬で、侘助はシステムすべてを監修し、太助と協力して組み立てた。それぞれの得意とする分野が合わさったことで個人所有としてはそう見ないスペックなものになった。
たとえハッキングを仕掛けられたとしても容易く防ぐし、よしんば侵入されたところで自分たちが作りあげたシステムを自由に崩すユーザなど一握りだ。もちろん完璧などという言葉を信じるプログラマはいないので、防壁を突破されることも見越して仕込まれている様々なツールが出番のときを待ちシステムのなかで眠っている。
陣内家のプログラマたちは良い意味でも悪い意味でも名前が通っていた。だからこその、セキュリティ。言えることは一つ。好奇心は猫をも殺す。
 ただ、この一見玄人向けのようなパソコンの怖いところは、そういった点ではなく理香はもちろんあまり使わない万里子といったライトユーザでも負荷なく使えるところだと佳主馬は思っている。
器用な両立を可能とさせたのは、なした人物の性格と技術力。うらやましいと思う。けれど手に負えないとは思わない。個々の能力をつぶすことなく取り入れ更に誰もが扱える代物へ変化させた侘助の苦労は計り知れないが、特徴的な笑みを機嫌良く浮かべて進めていたからそれはそれは楽しかったんだろう。その気持ちは分かる。
資金は本家に置くならと親族がカンパという形でだしあった。

 皆が本家で不便なく過ごすために作りだされたそれは栄の私室であった書斎におかれた。
 当初、機器に疎い万里子はパソコンを設置することを渋っていた。それを覆したのは理一がこっそりと侘助と健二を指差したことで、最近インターネットを騒がせている新しいシステムについての話をしていた二人はきょとんと理一を見た。その様子を見て得心したように大きく頷き「それじゃお母さんの部屋に置きましょうか」と手をぱんっと叩いて言ったのだ。
 陣内家は昔ながらの古い大きな屋敷だ。部屋はたくさんある。使っていない部屋も多い本家で、あえてその部屋を選んだのは電脳世界で万能に近い能力を誇る彼らへの楔だろう。
相似し、けれど似て非なる部分を所有している二人。そこに佳主馬は含まれて居ないのは、自身に踏みとどまらせるものがあるからだ。家族。対してあの二人はこの数年で濃くなったとはいえその概念が薄い。彼らと自分との違い。それは大きな隔たりだ。
亡くなった曾祖母の居室が与える効果は本人でなければわからない。だから想像する。
パソコンをこの部屋に置くと決めた叔母の意思はきっと、一人ではないと思わせるために、だ。もしくは一人で突き進まないように。
ともすれば一線を超えてしまえる人間をこちら側へ押しとどめているのはそういったものだろうと佳主馬は当たりをつけている。
いずれ、その一線が見えるようになるだろうか。まだ高校生にすらなっていないのだ自分は。いずれ、そう、いずれだ。あのひとのように。並び立てるように。
 体をひねって仰向けになり、ぼんやりと天井を眺める。明るいというよりは白さが混じった暗さが満たしている。机の下へ隠れるように設置されているタワー型の本体へ足を乗せると春の空気よりも暖かかった。パソコン。大きな黒い本体の側面には子どもたちが描いたため少しばかり歪な家紋が大きくあった。
 大広間で特殊な絵の具をもった子どもたちに描かれたのは、太陽の日差しがやわらいで橙色が混じり、台所では夕食の準備がすすめられていた日だ。夏の思い出。うつつにみる去年の出来事。
本体をおさめるケースは、話が出てすぐに太助が取り寄せていた。味気ない黒いプラスチックの箱への装飾を提案したのは夏希で、口うるさく文句をいいながらも準備をしたのは割と面倒見のいい翔太だ。
太助と侘助が中心となって大人はにぎやかな話に熱中し、張り切った夏希が率いる子どもたちは絵の具に夢中になった。テレビにはワイドショーが映ってはいたが、その放送は誰も見ていない。
落書きを進める子どもたちも、話し合いを続ける大人たちも、誰もがブレーキをかけないためにそのどちらもヒートアップしてどんどんと大きなスケールとなっていき、そのノリを生まれたころから知っている佳主馬はともかく隣に居たお兄さんは僅かに顔をひきつらせて「きみの一族はやるときは全力だよね」と小さな声で言った。
 本体に乗せていた足を組み替える。少しだけのけぞるように素足をぺたりと隙間なくつけると暖かさが広がった。夜明けと早朝がいりまじった明るさは一晩中モニターを見つめていた目に優しく心地がいい。佳主馬の呼吸音がする。
 お兄さんも、叔父達の話がまとまっていざ作るという段では、机上で学ぶことよりも実務の方がその何倍も役に立つし実際学んで来た知識でどんな式を展開させることができるだろうと好奇心に溢れて楽しそうだった。その姿に佳主馬には小さく違和感がひろがり、なぜかと考えて気づく。
柔らかな弾力を持ち、守るように覆っていた膜のようなものがない。それは見えない障壁だった。口癖の自信のない弱気な言葉もない。それは見えない拒絶だった。
知り合ったときから纏っていたものがなくなったことをにわかに信じられなくて、じっとみた。いつもと変わりがないように思える。すぐに打ち消す。ちがう。浮き上がるようにして健二を守っていた薄膜がはじけたように周囲に溶け込んでいた。そこが違う。
「な、なに?」
佳主馬の強すぎた視線に気づいて、問われた。
「なんでもないけど……なんかあった?」
「んー、どうだろうね」
おだやかですっきりとした顔で微笑む。その表情から読み取れること。なにか、はあったんだろう。変化のキッカケとなるような。はぐらかすような物言いだったが佳主馬としては、お兄さんが悲しくなければそれでいい。心が痛んでいなければそれでいいのだ。憂いなく、できれば健やかに。
でも、とお兄さんが言う。いい年をした大人も年端も行かない子ども達が、それぞれ違うことをしているのにがああでもないこうでもないと同じようなことを口々に騒いでいる、けれどそう大きくもない声ははっきりと聞こえた。
「うまく言えないけど、なにもなくはない、かな」
照れたように頬をかいて、恥ずかしくなったのか子どもたちのほうへと視線をそらす。
やわらかく見守る様子を見て言葉が浮き上がったから、独り言のように口からこぼれ出た。
「うれしい?」
意表をつかれ弾かれた様子でパッと佳主馬へ視線を戻す。うれしい、と音にせずに呟く唇の形を佳主馬は見ていた。ほんの少しだけお互いに何も言わない時間があって、たどたどしくもゆるやかにお兄さんのその唇から今度は音を伴い言葉が発せられる。
「うん、そうだね、うん。嬉しいんだ。ぼく、うれしいなぁ……」
顔を徐々にほころばせていった。笑みがこぼれる。もう見ていられなくてそれとなく視線をかわして落とす。お兄さんも自分の気持ちも。見てはいけない。
 去年を思い出しながら、何度か瞬きを繰り返した。
プログラムの目処がついて上昇していた気持ちも落ち着いた。薄明かりが佳主馬の体内へはいり落ち着こうとしている。
眠気が襲ってきたが、寝るのなら布団で眠りたい。目をこする。本当に起きているのかがあやふやではっきりしない。
両手で顔を覆いながら、腕の筋肉を伸ばすようにまた伸びる。小さく声が出た。力を抜いてぱたんっと顔から手を離すとだらりと畳に投げ出された。指先を動かして編まれているイグサの筋にそってなぞった。
そうすると数式が書き散らされたレポート用紙がところせましと散乱している和室が、脳内で引っ張り出されてきた。まるで映画のようにいきなりはじまる。
ちょうど部屋の中央でお兄さんが真剣な面持ちで白紙の紙へ書き込んでいる。邪魔をしないようにと佳主馬はなかへ入らず、障子へもたれるようにして座っていた。それを上から覗いているような感覚は、夢を見ているようだ。
手の届くところにあった紙を手に取るとそこには流れるような文字で式がある。アルファベットがわずかばかり混入されたそれはおそらく機械語に分類されているパソコンの根幹をなす古い言語のうちどれかだろう。単純明快で、だからこそ難しい。
脇目も振らずそれこそ一直線に、立ち向かい式を書いて書き直して書き上げている。世界には自分と目の前の数式しかないのだとペンを握りしめ紙を見つめる横顔を見る。視線の前に割り込みたいような、このままずっと黙って見ていたいような気持ちが湧き出た。
どれだけそうしていたか、吹き込まれた風が用紙をかさかさと動かす。それでもお兄さんは構わず動かない。佳主馬はなにげなく陽光が射す庭を見て、仰いだ。見上げた空は鮮やかな青。奇麗な青だ。
 天井を眺めることに飽いたので目を閉じる。瞼の上から疲労している眼球をなでた。右腕を額に乗せると、薄い光が遮られ暗くなった。
 去年の夏。半年前のことだ。ある時を境にお兄さんはふっきれた表情をみせることが増えた。一度だけ、わずかに目を赤くして腫らしていたのを見た。泣いたことなど悟らせぬ態度だったから佳主馬が気付いていることには多分、気付かれていない。涙がみたかった、とは誰にも言えなかった。同時に泣くほど嫌なことがあったのではないかとハラハラとした。佳主馬のそんな葛藤などよそに、またそんなことを知る由もないお兄さんはとても清々しい様子だった。たとえば、そう、暗くて動けないと思っていたそこはただ単に温かな布団の中でぎちぎちとそのかぶり物を自分でしっかりと固定していたことに気づいたような。布団。本家での佳主馬の寝室は相も変わらず納戸だ。ふとん。眠いんだろうな、と思った途端にあくびがでた。かみ殺す。
別れ際に、また来年ねと言われた言葉は鮮明で、次もあるのだと安心をした。今年の夏を思う。そして昨年の夏、花火の夜を。
自覚したのは、たしかに一つ前の夏。
けれど考えてみればもっと前から、はじまりはそれこそ出会った4年前。
ずっとずっと抱えていただろう感情を、宥めすかして誤摩化し続けている。自分を騙し切る為に代わりの名前をその気持ちに付けた。尊敬。なりたい姿、みらいの形。呪文のように繰り返す。いつかそれが本当のことになるのだと装う。嘘ではないから偽装にはならない。繰り返していればいつかそれのみを含んだ心になる。そこまで考えて頭を抱える。なんにでも連想するのは、良くない。考えてはいけない、見てはいけない、触れてはいけない。言い聞かせるようにして、もう一度。
それはただの憧れだ。
そうやって繰り返しているからか、最近は一時に比べマシにはなった。
だからこのままいつになるかわからないけれど仕舞い込まれていく。どこかへ。
 もぞりと動いて横向けになり丸くなった。
「も、ほんとに…」
静かな部屋に響いた自分の声は弱々しかった。


 

 

 

>>>始まる目眩始めた 2    四ねんめの はる

mainページへ