目眩おいて終わって 2

 

 

 日付が変わる前に、久しぶりのチャットが終わった。低くなっていた佳主馬の声が耳に残っている。
モニターの横へ置いていた氷の入っていたはずのお茶はそのグラスに汗をかいて氷などとうに溶けたあとだ。
飲み物があると音声チャット中は思い出しもしなかったなぁとそれを口に含み、想像以上のぬるさでわずかに眉をひそめて嚥下する。
イヤホンとマイクが一体になったヘッドフォンを首へずらして椅子へ座ったまま思い切り伸びをすると、関節が伸びきって、全身へ隈無く血液が循環しているような感覚。
伸びきったところで急に力を抜いてだらけ、マウスを動かしてパソコンを終了させてモニターの電源も落とす。とたんに部屋に目立った音はなくなる。静かで、いつもどおり。変わりない健二の部屋で自宅だ。
違うのは何かを期待しているように鼓動する心臓で、それを自覚して健二は少し自分を嫌悪する。

 佳主馬をはじめ、親しくしていた陣内一族へ伝えた忙しいという言葉は事実だ。
しかしまだ入学したてということもあっていくら忙しくともメールをする余裕くらいは作ろうと思えば得られるものであったのも事実で、けれどそれすら自身の放った言葉を隠れ蓑に沈黙を守った。

 健二にとって、陣内一族はとても大切な人たちだ。
だからこそ、その距離感をはかりかねる。
家族のような関係は暖かくて嬉しくて一人ではないと思わせるもので、家同士ではなんのやり取りも取り交わしてはいなかったけれど夏希の婚約者のように扱われるのは居心地も良くて、けれどそれらはすべて夏希がいたから健二の手にこぼれ落ちてきたものだとよくわかっている。
あの夏がなければ、それらは知らないものだった。知るはずもないものだった。
 健二は、大学合格を機にあの夏から続いていた夏希との曖昧だった関係に答えを出した。
高校二年生の夏、あのときにしっかりと抱いた感情は確かに恋なのだと思ったし、親友だって健二がずっと憧れていたのを知っていたからぽろりとあの場でこぼした。
その音は健二の脳に到達し、そして刷り込まれたのではないかと佐久間のせいだと決めつけようとして失敗する。

(見ないフリをしてきた自分のせいだ)
パソコンチェアのうえで足を抱えて座り、膝の上に右頬を乗せる。ため息も出た。黒いモニターを見るとに情けない顔をした自分が映っている。

 健二が夏希を見ていたように、夏希もずっと見ていた。
それが恋なのかわからない。親愛なのかもしれない。もっと違う感情が根付いているのかもしれない。
数式であれば意などいくらでも読めるものを、それが人の感情なら一転、不可解なものになる。
だから、夏希の思いを正確に汲み取ることは出来なかった。
だけど、同じくらいに感じたこともおかしなことだった。恋を抱いているものとしては、不思議な。
自分を見てほしいと願うことでもなく、報われなさに打ちひしがれることもなく、だから健二が覚えたものは彼女への後ろめたさだ。
このままの関係を続けていていいのだろうかと足場が崩れるような不安が胸を占める。
 健二が抱く恋心の核は、あの夏に見た陣内家で侘助と夏希のやりとりをみてちくりと心が痛んだことだ。
その意味を、見誤っていたのだと気づくのに二年。長いながい時間だ。あれは自分はこの家の者ではないと見せつけられているようで、いたたまれなかったのではないか。
自分が抱いていた夏希への想いは、彼女と自分が一緒に幸せになりたいではなくて、夏希が幸せであってくれればそれでいいのだ。
それは泣きたいような強い感情で、一番しっくりと心に収まった。
(先輩が幸せであればそれでいいんだ)
恋というよりは、愛。

右頬が痛くなってきたので、左頬に変える。髪がぐしゃりと膝の上で潰された。

 夏希との曖昧な関係を清算してしまった今、陣内一族と今までのような関係を続けることは無理だ。
夏希とは今でも良い友人関係を築けているとは思うが、ただの友人が親族のように振る舞っていいものだろうか。今までとおなじようにはいかないのではないだろうか。
 陣内一族は大切。距離感を取り損ねて、嫌われたくない。
だから離れて、今度はどう近づけばいいのか解らず、彼らからも連絡は来ない。
存外簡単になくしてしまうものだと思おうとして、失う関係ならばそこまでだったといつものように諦めようとして、栄の声に追いかけられ、けれどだけども。

 抱えていた足を伸ばす。
パソコンチェアのコマを動かし立ち上がり、脇のベッドへ倒れ込んだ。
薄い夏布団を抱きしめうつぶせのまま枕の横に置いていた携帯を取り、メール作成画面を呼び出してぽちぽちと打ち込む。
小さなリスが出番だというように待ち構えているが、作成したメールを預けることなく携帯を閉じてた。
『いいのかなこれで』
宛先は不明。本文にはこれだけ。

今年の夏も、上田で過ごす。

 

どきどきする。

 

>>>3   三ねんめの なつやすみ

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