廻る目眩はじまる

 

 

 放課後、大きく開かれた窓から埃っぽい風が吹いて日よけのカーテンが揺れた。
陽が暮れかかる前のひときわ輝きの厳しい日差しが布一枚通せば何故か柔らかく見え、教室の扉をくぐったところでその光景に眼を細めた。佳主馬の教室は中庭に面している為に外の様子は見えない。
夏休みが終わり、二学期が始まると夕方がどんどんと早くなっていくような気がする。
まだ暑い日も続くが、涼しい風が朝夕やふとした時に吹くことも増え、グラウンドからはバットにボールがあたる音や陸上部のかけ声も聞こえてそれは真夏のようであるのに確かに秋が近づいてきていた。

 

 あの夏以降、色々な理由で連絡先を聞かれ答えて携帯の登録人数がそれまでの比ではないくらいに増えた。
付き合う人数も比例して増え面倒くさく煩わしいことや楽しく面白いことも同じように経験し、それはそれで興味深かった。そんな佳主馬を見て家族、特に母親がそれとわかるほど安堵している様子に、小学生のあの時から心配をかけ続けていたのだと今更そんな当たり前のことに気づく。
 携帯へ登録した人数が増えたことで、プライベート用の携帯に受信フォルダを増やした。
友人、家族、先輩。
ひとりだけ、なんとカテゴライズしていいのかわからなくて溜まっていくのはお兄さんからのメールだ。分けていないからデフォルトのフォルダがそのまま専用フォルダのようになっている。
身内だから家族でいいのではないかと最初は迷ったが、それだとメールが埋もれてしまうと恐れ、だから止めた。
そのお兄さんは佳主馬が去年作り出した小さなウサギのことを気に入ったらしく、こちらの携帯へ連絡がくることが多い。
佳主馬としても同じサイズのアバターが戯れているのを見るのは楽しく、背格好が同じくらいだと何故か嬉しい。それでもキングがいる携帯から連絡をするとテンションの高い返信が来て、それはキングであることを誇れる気持ちになるしお兄さんのその様子は触れていてくすぐったくも喜んでくれるのならやっぱり嬉しい。
 佳主馬にはここ最近、ずっと考え続けていることがある。
しばらく一人で考えてはいたが、どうにも答えが出ない。だから友人に聞くことにした。一年の夏頃から親しくなり、進級しても同じクラスになった友人たちは話しやすく同級生では一番親しくしている二人だ。
 一日、いつ聞こうかとタイミングを見計らっていたら放課後になった。
明日は土曜日で休み、だから聞くなら今日しかなくて、もうこれ以上佳主馬は一人で悩み事を抱えているつもりはなかった。袋小路に陥ったならまずそこからどうにかして出なくては。自分以外の意見を取り入れたいと思ったのは不自然なことではないだろう。
 日直だった佳主馬は、終業後に担任から言われたクラス全員分のプリントを集めそれを職員室へ届けにいっていた。教室へ戻ってきたらすでにそこには暇そうに遊んでいる友人達しかいなく、だから教室には自分達しかいない。いつ聞こうかと思っていたら放課後になってしまい、そして今だ。

 教室へ戻ってきて、一番最初に目にしたものは黒板いっぱいにチョークで落書きをしている二人の姿だ。ばかなことを楽しそうに笑ってしているから佳主馬が笑い、その声に気づいた二人が佳主馬を見る。
「遅かったな」
「そう?」
 二人のほうへ向かって歩き、黒板の手前にある教卓の引出しに手をいれて右隅の奥にあった日誌を引っ張りだした。それを教卓に置き、佳主馬自身は黒板が見えるほうへ立ち日誌を開く。
簡潔に必要最低限どころか記入漏れがあるページや逆にみっしりと事細かに書かれていたり、女の子が書いたとおぼしき落書きがあったり、それらを手繰りながら進め開いた未記入の新しいページに挟み込まれていたペンを使いそのままそこで記入を始める。まずは名前から。
 佳主馬が書き始めると二人もチョークをペンに変えて寄ってきた。中下は手についた石灰が気になるようでわずかにはらう仕草をみせる。
濃い緑色の黒板を白と赤と黄色のチョークで埋め尽くした二人は、今度は日誌枠外の空白へターゲットを移して落書きを開始。大村が線を描き出し、中下が英語の愚痴をカタカナで書く。エイゴワカラナーイ。
 それを視界の端で見ながら口を開いた。
佳主馬の手は二人とは逆に、記入者名を書き込んだところで止まっている。
「ねぇ、好きってなんなの」
「へ?」
「どーゆー意味?」
聞き返されどう答えようかと考えて、とりあえずペンを動かした。今日の時間割と授業内容、朝からの一日を思い出して書き込んでいく。
「いや、付き合えっていうから付き合うのになんでこんな振られるのかと」
「え、もう別れたのか」
「僕に何を求めてるのかわかんない」
思っていた以上にふてくされた声が出た。中下が落書きの手を止め佳主馬を見て呆れて言う。
「告られては断りつづけてるからさ、試しに付き合えって確かに言ったけどさぁ…スパン短すぎね? そんなもん考えるもんじゃないだろ。そのうちわかるんじゃねぇの」
佳主馬は日誌を書く手をまた止めて、彼のほうに向きなおり正面から見た。
「だ、か、ら。分かるまえにふられるんだよ」
「そりゃどうしようもないわ」
落書きを続ける大村にきっぱりと言い切られ、中下は佳主馬と同じように声もなく笑い肩をすくめる。確かにその通りだ。

 好きじゃないんだけど、と初めから断っているのにも関わらず嫌いじゃないならそれでもいいと言われる。特に困ることもないから付き合い始め、そして好きになってくれないからとふられることが続いている。悪循環だ。
ふられるのはいらないと言われているようだし、相手に悪いことをしたように思えて気分も良くない。
だけど、同時に別れることで清々したと思うのもまた、事実だ。

 日誌の空白箇所を埋めないことには終わらないから笑いながらも3限目はなんだったかと黒板の横にある時間割を見た。地理だ。地学は好きでも嫌いでもないが、その教師が得意ではない。なにせ、あの先生の話し方は眠りへの誘惑が過大に含まれている。眠気と戦うのがメインではなかろうかと思える時間だ。
 次の時間割もついでに確かめた。数学。数字。お兄さん。2056桁の暗号をミスなしで何度も解く姿がなぜか鮮明に刻み込まれているから数字を見るたびにどうしてもそこに繋り、そのイコールで繋がっている関係を引き離すことは年が変わる前に諦めた。
「つか、付き合えって煽ってはみたものの俺はずっとお前は親戚の誰かが好きなんだとおもってたよ」
「なんで」
「夏に親戚で集まるんだろ? 夏休み前は早く休みになれって言ってるし、二学期になりゃなったで機嫌よさそうに携帯見てんじゃん」
 確かに夏休みは親族が長野上田に集まる。親戚の誰か、と言われて陣内家の縁側で青空を背景に明るく笑う夏希の顔が浮かんだ。年がまだ近くメールもたまになら交換するからだ。
大村が言う条件にあてはまるが、そのメールを見ている時の自分の顔なんてどんなのかわかるわけもないし、夏希のことを思い出したところで人と違う感情が芽生えない。あるのは親族全般に対する気持ちだ。
それに彼女は、侘助のことが好き、だったはずだ。
侘助については佳主馬は苦手としていて、とくに何か思い当たるわけではないけれど強いて言えば何か見透かされていそうなところが原因として考えられる。見られたくないところまでをも見通していそうな。
「ホラ、去年さ、リスの人が親戚だって言ってたじゃん」
「…リスの? うん、言った」
どういう関係だと聞かれたから身内と答えた覚えがあった。だが、どうしてこの流れでお兄さんが出てくるのかと不思議に思う。好きな人の話をしていたはずなのに。
それで、と中下が続けて言う。
「誰からのメール? って聞いたことあるよね、俺」
「うん」
「そしたら池沢が携帯の画面に居るリスを見せてくれたことも覚えてる?」
「覚えてるよ。なんかニヤニヤ笑われたことを、しっかり」
「いやな覚え方を…まぁ、だからさ、うん、その人からメールきたあとのお前がおもしろくて、つい」
なぁ、と中下が大村に呼びかければ、大村は佳主馬を見ることすらせず日誌へ視線を向けたまま答えた。
「うん。明らかにテンションあがってる。それでやたら愛想がいい」
なんとなく大村が何を書いているのかと手元を覗き込むと、そこには担任の特徴を見事に捉えたイラストが完成に近づいており、見て吹き出すのを堪えた。
キラリと歯が輝く担任の頭にリボン、ただし男性ってどんなセンスをしているんだ。
「だからさ、俺はてっきり。告白を断っていたのも、だから」
「だよなぁ」
「そりゃだって、あの人優しいから、そんなふうになれたらなと思うからで。…え、なにそれ」
「池沢はあんまり優しくはねぇよ?」
中下が何を言っているんだとばかりに言い、日誌へペン先を近づける。
大村は出来たと呟いて、佳主馬を見た。
「もうさ、はっきりさせよう! いつまでもふらふらされてちゃ困る」
「なんで大村が困るの」
「こないだ池沢に告ってた野中さんのことが好きだったからですー、はい失恋おめでとー」
 人の悪そうな顔でさらりと告げた中下に、ぎょっとした大村が握っていたペンを投げ飛ばす勢いで手を振る。
「ちょ、中下! べ、べつに好きだったわけじゃなくてちょっといいなって思ってただけで」
「へぇ、御愁傷様」
「池沢はもっと気持ちを込めて! 心がこもっていないよ! ああ、もう!」
鼻息も荒く言い捨て、力一杯握り直して佳主馬が書き込むべき日誌への落書きを再開する。
今度は何を描く気だと見ていたら、なんの躊躇もなくハートを描き連ね、見る間に残っていた白い部分が大きさも様々なハートにて占領されていった。
それを中下が横から鼻歌を口ずさみそうなリズムで黒く塗りつぶしていく。
塗りつぶされていくハートを気にした様子もなく大村はぐりぐりと書き足す。
更にそれを塗りつぶす中下は佳主馬を気にした様子もなく気軽に言った。
「まぁちょっと考えてみろよ。その人と自分の関係」
「だから身内だって」
「いいから」
言われてしぶしぶと考え始める。二人の落書きは気にしないことにして日誌の続きも書いていく。5時間目、6時間目、中間テスト実施期間のお知らせ。
 夏希からのメールでは面白いと思うことはあっても嬉しいということはないし、付き合ってきた彼女からのメールも友人の延長という認識でしかなかった。
友人や家族は当然違うだろうし、それに己の交遊範囲を考えなくてもリスのアバターで身内だと答えた人物なんてそれこそお兄さんしかいない。だから、自分が変わるメール、というものの送り主はお兄さんだ。
関係というのなら年齢差のある友人で、身内。
 ただ、今は佳主馬がふられる話で、だから佳主馬が知りたい『好き』とは恋愛感情が多大に含まれた好意だ。中下が言う考えてみろとは、そういう意味を含めてのことだろう。
好きか嫌いで言えば迷うことがないくらいには好きだ。だが、いくら自分がお兄さんからのメールで変わるとしても性別が同じ、つまり男同士だ。
 佳主馬には男と恋愛をするという趣味はないから、その気持ちは憧れなんだと思う。付き合うなら女の子がいいし、男と女なら言うまでもなく女の子を選びたい。
多分、お兄さんだってそれは同じはずで又従兄弟に好意を抱いていたというあたりからも伺えた。だから夏希でなくとも別の女性と付き合うことだってあるだろうし、もしかしたらすでに特定の彼女がいるのかもしれない。
佳主馬の知らないところで知らない顔をして知らない人と、それこそ佳主馬へ好きだと告白をしてきた女の子にしていたようなことを、して、……そういうことを? 佳主馬がやってきたように誰かに? それは、…。
「むかつくかも」
「え?」
「だから、なんかイラってする」
「おーい?」
二人が交互に反応をし、その声をきちんと認識するまでに数秒かかってから、我にかえった。
(なにが、どっちに? え?)
それぞれペンを置いて佳主馬を見ているから視線が集中していて居心地が悪く、身じろぎをする。
わずかに視線をそらし、手元の日誌がほぼ完成に近いことに頭のどこかで小さく驚いた。斜めに文字が書かれているところもあり、どちらかが落書きついでにいろいろと書き込んでいっていたらしい。
「ごめんなんでもない」
「ふーん」
「で、どうだったよ? 結論でた?」
「うん、やっぱりそんなんじゃないと思う。…その人のことは好き、だけど、そんなんじゃ」
 中学生の佳主馬にも彼女が居るのだ。
高校生にもなって、そしてあの優しい人に、彼女がいたとしても、不思議なことでは。ない。はずだ。
(おかしくは、ない、よね、うん)
頷く佳主馬に、中下と大村が顔を見合わせて幾ばくか間を置いてから代表して大村が呆れたように言った。

「だからさ、それが好きってことなんじゃねぇの?」

日誌の枠外はハートが認識できないほど塗りつぶされ真っ黒で、窓の外に見える空は夕闇に染まりかかり鮮やかなオレンジ色。
黒いハートと夕闇に染まる白い雲を見て佳主馬は思う。
(…どういうこと?)

 

>>>目眩おいて終わって   三ねんめの なつやすみまえ