no color no life!

 

 



 八月のなかばのことだ。
 ざわつく無数のアバターがいる仮想世界でリスはウサギと歩いている。
「美しい世界を見てるよね。だから尚更諦めらんなかった」
 何を言われたのか判らず見上げた。ウサギの身長は高い。
「だってケンジさん、数列に美を見てるでしょ。でもって、うちの田舎もきれいだって良く言ってるから」
 カズマが腕を伸ばし抱き上げた。視界が高くなる。
「だから僕は美しいんだって思う。ケンジさんの言う田舎のきれいさも数学の美しさもわかんないけど、美しいのはわかるよ」
 佳主馬は健二がいるところを美しい世界だという。
 たくさんのアバターがカズマの進む方向をそれとなくあける。
 健二は佳主馬がいるところを夢の世界だと思った。
歩むだけでその道が開くような存在が君臨している。では、健二の見えている世界は?

 











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 五階建てのマンションの三階の一室に佳主馬は居た。
ただしマンションとはいえ、自宅ではない。
 人種のるつぼ、ないしはサラダボウル。センチメートルを使わずフィートで身長を測り、体重計に表示される単位はバウンドで、世界で主流とされる単位には見向きもせず我が道をつらぬく他民族国家、アメリカはとある州の叔父宅にて滞在中だ。
 佳主馬がアメリカにいるのは、マーシャルアーツの世界大会に出場するためだ。
 オズは世界と繋がる仮想空間で、ユーザー同士がコミュニケーションを取り合うことを推奨している。
現実との隔たりをなくし繋がりを重視するのなら、比重を傾けず天秤は平行を保つためオンラインもオフラインも等しく、そうであるからには提供されているサービスは現実でも同じでなければならない。
それを実現するためワールドイベントが世界各地でしばしば行われる。現実世界で一堂に介し、パソコンを使って普段どおり対戦をするのだ。テニス、サッカー、変わったところで百人一首。自宅から参戦するのではなく、同一スペックのマシンで同じ場所から同じネットワークに接続する。いわばオフ会だが、公式イベントであるからその人気は高い。
開催国や地域は毎回違うが、今回は侘助が所属する研究所に近かった。
 佳主馬はベルト保持者として参加のため宿泊場所は手配されていたのだが、一人で空を飛び海を越えることを心配した池沢家の権力者がどうせ行くなら侘助のところで世話になればいいのにと仰っり、自らさっさと連絡をとり了承を取り付けた。正直、英語がおぼつかないので母の行動に助かったのも事実だ。侘助が断らなかったのなら問題もないのだろうと甘えることにした。実際、一日のスケジュールが終わる頃を見計らい会場まで迎えに来てくれたりと、面倒見は良かった。
 佳主馬が参加資格を持つ大会は、いわずもがな、電子で構築されたアバターが自身の手足となって戦う競技、マーシャルアーツだ。
選手は各国で行われた予選トーナメントで勝ち抜いてきたユーザーだ。マーシャルアーツランキング上位二十名は無条件にシード権が与えられ、本戦へ進める。出場権を得るだけでも名誉であり栄誉で、対人エリアに設けられたスタジアムはもちろん、特設会場の外に設置された大型の中継モニターへも人が押し寄せる盛り上がりをみせていた。本戦は二週間程度の時間を必要としたが、目立ったトラブルもなく無事に終了した。
 佳主馬は年齢を理由に今までそう言った、人に見られる大きな表舞台へ立つことを拒否してきていた。
 必要性を感じなかったし、勝敗以外にこだわりはなかったからだ。
うかつなことは出来ないと言う重圧、それだけの期待を背負っているプレッシャー。
ステージに立てば皆が注目し、勝てば熱狂する。ミスをすれば囃し立てられ、負けると叩かれる。契約を結んでいる企業の業績すらときには左右した。
 適度な緊張感は心地よかったが、自分の一挙一動が与える影響は大きいと認識するには十分で、だが他人事のようでもあった。そんな自分を心配する人たちがいることも知っている。
 だが考え方を変えれば、それは力だ。
佳主馬自身のことであるのだから、他人事のなわけがない。
 オズのユーザーは、世界中に散らばっている。
佳主馬の話題は世界のどこへいっても不自由することがなく耳にも目にもすることができた。己を知ればおのずと見えていたものは佳主馬の役に立った。単純に知識は力である。すべて、佳主馬自身だ。
 佳主馬は大きく一つ、伸びをした。
窓から差し込む光は道のようで奇麗だが、夕方のようだ。黄を帯びていた光は赤を混ぜ朱へと変化しかかっている。集中しすぎるとそれだけしか考えたくなくなるから窓の外など気にもしていなかった。
 短い共同生活は当初の予定を伸ばしてしまうほど楽しかった。今は侘助の専門分野を佳主馬が開発しているプログラムに組みこんでいる。
今回、作ってみようと思ったプログラムに欠かせなかったものは、人工知能だ。
ユーザーが選ぶ分岐次第で様々な反応を示すように。本来なら道を阻む役目のキャラクターが自らユーザーを手助けしたりもするような、さながら人の気まぐれを反映されているようなものを。
ユーザーが扱うキャラクターは戦闘を重ねるごとにレベルがあがる。
世界は主役の為に。人の為に。ユーザーのために。
成長するのはキャラクターではなく、替わりゆくワールドを作ってみよう。画一的な変化ではなく、そのユーザーのためだけに変わる世界を。
インターネットに接続しないタイプのゲームをより長く楽しんでもらうために、ユーザーと共に成長し進化し、そしてより長く楽しむ為に。
 日本から遠く、混ざり合い独立しあう国の研究所に勤める叔父をアドバイザーとして頼り、想像が形にしてゆくのがたまらなかった。知識の空白を埋めるのは心が躍る。白い大きな紙を色鉛筆やマジックで塗りつぶしていく感覚と似ていた。
 腕を回して肩の筋肉をほぐす。
モニターのコードは活発に動くが、プログラマの姿勢は変わらないから肩がこりやすい。
 寝食を惜しんでのめりこみ書き連ねていたプログラムの峠はもう乗り越えた。あとは詰めだ。決めあぐねていた筋は決まり、それが佳主馬の指を走らせる。
 佳主馬が日本から持って来たノートパソコンはそばの机の上で充電をしている。部屋で一番大きな本体を持つマシンは本来の使用者が貸してくれた。佳主馬が使うソフトは大体インストール済みで、入っていなかったものはダウンロードした。変換に癖が残っているものの、使えないどころか使いやすい。マウスパッドのそばにあるいくつもの付箋が差し込まれた専門書は参考にと言って渡された。タイトルも本文もすべて英文で、説明がわからずとも、それが指し、例として書かれているコードは読み取れる。プログラム言語を読み取ることに不自由しない程度の実力を佳主馬は持っているし、わからなければ聞けばいい。
 黒光りするモニターへ一心不乱にプログラムを書き込んでいた佳主馬が、静かに背後に立った叔父をモニターの反射を利用してちらりと見た。
 心地よく響いていたタイピング音が消える。明かりがついた。随分と薄暗くなっていたことに気づく。時間はあっというまに過ぎ去っていた。
「なに?」
 短い問いかけに侘助が軽く肩をすくめ、持っていたカップを手渡してきた。休憩をしろということらしい。礼を言って受け取り、ゆっくりと飲んだ。てっきりコーヒーかなにかかと思っていたが緑茶だった。苦味はあまりなく、ほのかに甘い。温かさがじわりと体内に広がるにつれて、意識をしていなかった疲れを自覚した。
「もうちょいか?」
 尋ねる侘助も同じものを飲んでいる。
そういえば、キッチンの流し台のところにあった大きな段ボール。泥のついた野菜がのぞいていて、見覚えのある文字でメモが段ボールにセロハンテープで貼付けられていた。冷蔵庫に仕舞われていた梅干と野菜が本家から届いたのかと思っていたがそれには茶葉も梱包されていたらしい。知った味だった。
「それなりかな。山場は超えたよ」
 開発途中のプログラムに人工知能を組み込む。
ただそれだけなら日本にいる技術者を侘助に紹介してもらえばよかったのだろうが、丁度アメリカにいたし、思いついたのは侘助との会話のなかだ。そして侘助の腕はトップクラスだし、近しい親族相手に遠慮はよそよそしい。
 当初の予定を変更して、厄介になりつづけている。
「あんだけ鬼気迫りゃあな。声かけにくいのなんのって」
「そう? おじさんがご飯とか準備してくれて助かったんだけど」
「甥っ子ほったらかしにするような俺だと思うのかおまえは。んなことやってみろ、ばあちゃんに面目がたたん」
 至極真面目にそう言い放つ侘助からは斜に構えた雰囲気はない。
 栄の話題に触れられて、佳主馬は思考を止めた。侘助は、健二との共通点が多い。
「ああ、そっか」
 人が集まればその数だけ様々な考えが生み出される。その過程で諍いがあったり揉めたりもするが、身内に対する意識は強く行動は迅速だ。
 血の繋がらない身内だっている。帰りを待ってくれている人がいる。
「……じゃあ、もう帰らないと」
 ファイルを上書き保存し、プログラムを走らせる。デバックだ。
「あ? その接続おかしいだろ」
「おじさんがばあちゃんのこと言い出すのが悪い」
 帰らないと。
 出来るだけ考えないようにしていたことにすらりと触れた叔父は佳主馬の言葉に呆気にとられたようだった。自分でも確かに唐突だったと思う。だけど、限界だった。
「帰らないと」
 早く。
 あの人の隣は、随分と居心地がいい。
 佳主馬の居場所へ戻らなければ。そこはきっと誰もが欲しがるから気が抜けない。
 寂しさをそうだと自覚をしない人で、待つことだけは得意な人で、他人への期待もあまり持っていなくて、だから時々、そばにいるのが佳主馬じゃなくても良かったんじゃ、とゆらいでしまう。特にこうやって離れているときに。
「なぁモニターに穴があきそうなんだが。俺の液晶壊す気か。あと知ってると思うけど物体を電子へ分解しまたそれを再構築することは未だに不可能だぜ」
「オカルトとか未来科学に足を踏み入れたくないよ」
 寝食すら二の次で取り組んでいたのは新しいプログラムを完成させたいということもあったが、一番は早く戻りたいから。
「あとオズを通ってモニターから出てくのは無理」
 本家へ帰省したときに、退屈だからといって真昼間からレンタルDVDで見たのだ。夏に相応しい怪談だった。いくつか連作が作られ、ハリウッドでも制作されたらしい。ジャパニーズホラーは独自の発展を遂げている。
「本家の井戸にガキどもびびってたもんな。広間で布団並べて寝てたなおまえら。健二も巻き込まれて……でもあれやるってんなら髪のばせよ佳主馬。つかその頭、作業とかに邪魔じゃねぇ? うっとおしくねぇの」
「髪くくると可愛いって」
「誰が」
「健二さん」
 複雑な表情を浮かべる侘助に佳主馬は笑って見る。
「……俺はまぁなんだ。陣内からはみ出してたもんだしな、だからまぁ、あー」
 探しているのは適切な言葉だろう。
佳主馬と侘助の類似を考えて手のうちを見せた。遅かれ早かれ、一部の一族に佳主馬と健二の関係性はばれると見ていた。
 学校生活というおおきな集合体に馴染めず弾き出されかけていた佳主馬と、家族を難しく考えすぎて自ら出て行った侘助。
自身を冷静に見つめた結果、やるべきことを見つけたのも同じ。
「まじめに道を踏み外すなよとか言ってやりてぇとこなんだけどなぁ。どうにもなぁ。言えた柄じゃないからな。ちょっとな、さすがにな。目的のために最短を考えて、そんでまぁ、そのためならある程度まで目を瞑んだろ、俺がそうだったしな」
「……おじさんほどじゃないけど、僕」
「シシシ、そういったもんは先人に習うこたねぇよ。そうだな、後悔はともかく、責められたしな。でもまぁ不幸でなかったらそれでいいってばあちゃんは笑ってくれる気がすんだよ」
「不幸」
「そう。あと、こっちそういうヤツ多くてな、そんでもそいつら幸せそうだぜ。だからいいんじゃねぇの。大体うかつに二人で酒飲むとやべぇんだよこっち必死で叫んだからな。いやぁ、焦ると日本語しか出ねぇ出ねぇ」
 あまり共有したくない思い出をさりげなく話されてしまったが流す。あまり踏み込んではいけない気がする。
 なにをもって、幸せとするかは本人次第でしかないがくなった栄はそこをぶらさなかった。
 家族で食事を共にするのは陣内にとって、その象徴だ。
では、尚更。
「迎えにいかないと」
「今わりといいこと言ったんだけど聞いてた? 帰んじゃないのかよ。どこにだれを迎えにいくんだよ」
「だって待ってるよあの人」
 侘助が何かを言おうとしてやめた。呆れと、なんとも言いがたい笑みだった。
「なに?」
 コードの進行は八十パーセントを超えている。ここまでエラーはない。構文に間違いはないということだ。
つまずいていた部分は侘助に手伝ってもらって除去した。
一人で作り上げるプログラムもあるけれど、多くはチームを組む。佳主馬は大体の部分を一人でこなし、グラフィックは外部のデザイナーに頼む。あとは帰国してからでも出来る作業が残っていて、もし躓けばまた侘助に聞けばいい。そのためにオズがある。
「なんもねぇよ。それよか飛行機とったか?」
「まだ」
 コードチェックをしているマシンを横目に、佳主馬のノートパソコンを立ち上げる。鍵穴にパスワードを差込み接続すれば、ウサギが新着メールを告げるが、どうせダイレクトメールだろうから開きもせずウィンドゥを閉じる。今はそれよりも一番早い搭乗券をとらなければ。そのためにパソコンを起動したのだから。
 ノートパソコンのよこに置いていた携帯を見た。
アメリカにいる間中、沈黙をしていた携帯だ。時差があるからメールするねと言っていたのに。
 佳主馬が送ったメールへの返信も届いていない。普段はすぐに返事をくれるけれど、忙しすぎれば連絡が滞ることもあった。
そう思ってふと気付いた。
「……ところでおじさん」
「なんだよ」
 体内の血液がアクセル全開で下降する。大会期間はだいたい二週間。その後、数日滞在が延びると伝えた。だが佳主馬の仕事はほぼ完成に近い。
「今日って、何日?」
 つまりそれは、相当な日数が経過しているということではないだろうか。
「はぁ?」
「……むしろ僕どんくらいここにいるわけ」
 そして佳主馬には日数の感覚がない。いや、あるにはあるのだけど、大会終了後三日くらいという認識なのだ。長くて一週間。だが仕事量をみればそんなわけがないというくらい、わかる。
この場合、正しいのは曖昧な意識などではなく有形のプログラムである。