夜になると肌寒いが、日中の暑さがまだ夏を残していた。
冷たい朝の空気を存分に吸い込んで、上履きに履き替えた。そのまま廊下を抜けて教室へ向かう。廊下の窓から見える木は色づいていて、季節はすっかり秋だ。そのうち葉はすべて落ちるのだろう。中庭の掃除担当は葉が落ちたころにあたりたい。
教室にはすでにクラスの半数以上が登校していた。後ろの扉からなかへ入り、適当に挨拶をして席へ着こうとしていたら中学からの友人の中下が駆け寄って来た。
「おはよう、池沢! 悪戯していい?」
何を言っているのかと彼の後ろにいた大村を見る。浮かんでいるのは苦笑だ。
「悪戯?」
鞄を置いて、佳主馬はポケットを探る。ころりとしたものを出して投げた。弧を描く。
「ハッピーハロウィンだね」
「……なんで飴なんか持ってんだよ」
少し不貞腐れた中下が飴の包みをほどいて口に放り込んだ。大村はお菓子の袋を持っていた。
「俺の可愛い妹が欲しがるから。おはよ、ふたりとも」
「はよー」
「なんでハロウィンだって気づくかなぁ。飴持ってなきゃ俺の勝ちだったのに。妹ちゃんに負けたー」
ぶつぶつと言うが割といつものことだったので気にせず鞄の中身を机へ移した。課題に必要なものしか持って帰っていないからすぐに終わった。
「オズが簡単なクエストの報酬でかぼちゃグッズ配りまくってるし。だからみんなカボチャで飾ってるじゃん。あれを毎晩見ててそんで悪戯って言われたらまぁ大体は分かるよね。大村は何持ってんの?」
「え、池沢にあげようとおもって」
「……チョコレートを?」
「トリックオアトリート! お菓子くれなきゃ悪戯するぞ!」
声を張り上げた中下にクラスメイトの何人かが何事かとこちらを向くが、本人はどこ吹く風だ。
「残念、お菓子持ってた俺」
佳主馬がにやりと笑って言う。手を差し出した中下に大村は袋から一つ取り出して乗せたのを見て、それをひょいっと取り上げ、ナイロンの包みをほどいて口へ放り込む。甘い。噛めばナッツが砕けて美味しかった。
「俺のチョコ……」
無念を滲ませた声で言うので、ぺりぺりとナイロンでこよりを作って返却した。中身はすでに胃の中だから戻せない。
「池沢くん、酷い」
ナイロンを握りしめて言われたが、軽く流すと悔しいのか飴が勢い良く噛み砕かれた。投げた飴は妹お気に入りのイチゴミルクだ。中に練乳が入っている。とろりと溶け出たそれに驚いたのかガリガリとしていた動きが止まった。歪められた顔に笑って、口の中のチョコレートを転がした。
「これ美味い。もいっこちょうだい」
「まぁ手だせって」
「うん。それでなにするつもりだったの、悪戯って」
溢れそうなほど山と盛られたチョコレートを落としそうになって、慌てて逆の手も差し出し、両手で受け止めた。手のひらの上に積まれたのは甘い菓子。
「多い」
「んー、池沢ならそんなことないと思う。今日たぶん、そんなやつばっかだと思うし。もう飴ないんじゃないの」
「ないけど……。ハロウィンって、そんな怖いイベントだっけ?」
ポケットの中のお菓子は残り一つ。ビスケットではないから叩いたところで増えやしない。
砕いた飴を飲み込み終わった中下が、佳主馬の手のひらからそっとチョコレートを一つとってこっそりと食べるが、なにせ目の前だ。堂々としているのとなんら変わりはない。
「中下のはまぁ、めんどくさいだけだけど」
「おいめんどくさいって言うなよ。日直の名前書き換えてやろうと思っただけじゃんか。……ごめんなさい池沢くん蹴らないで蹴らないで」
「なにさせようとしてんの」
言いながら落としそうな手のひらのチョコレートを机に置いて、ついでに腰掛けた。ぶらりと足をゆらがせる。
「英語あたるんだよな」
「あっ、なにバラしてんだひでぇ」
「チョコぶつけていい?」
「ごめんなさい!」
「ま、そんでね、ハロウィンだからさぁ、池沢ならさ告られたりすんじゃねぇのって思う訳ですよ俺は。悪戯ってのか、なんかまぁイベントにかこつけれるし、乗ってくんじゃないの」
「乗ってくるよなーたぶんさー。女子の話聞いちゃったしー」
がたがたと椅子に座って中下が言う。手持ちのチョコをすべて佳主馬に渡した大村は壁にもたれた。
「マジで? 文化祭前と体育祭後を乗り越えたと思ったのに」
いじめられっ子だったのは昔で、今は美味く距離を取って参加している。大人になったなぁと思うときで、同時に大人ってめんどくさいなぁと実感する。
「……あれ、でもそういや彼女いてんの?」
「聞いてないからいないんじゃねぇの?」
どっち? と二人に揃って聞かれて苦笑と共に首を振る。居る訳がない。
身勝手な話だが、代わりになるような人が見つけられるとは思えないし、代替え品はそうでしかないし、それなら欲しくもなかった。本物ではないのなら必要と思えない。思うだけなら自由で、それを口に出せば外道だと分かっているから黙っている。
「前なら告られたときに居なけりゃ付き合ってたくね?」
「なんか語弊があるよそれ。第一付き合えばって言ってたのお前らだろ」
「まぁそうだけども」
「しかし付き合うと決めたのは池沢さんなわけで……あれ、でもそしたら彼女いるの?」
「だからいないってば」
「ふーん。心境の変化?」
「変化って……、俺好きな人いるもん」
ぽかんっとした顔で凝視された。あまりのその様子に少し引く。好きな人が居ちゃ悪いのか。
「……言ってなかったっけ?」
「聞いてない、聞いてないよ!」
気のせいか、周りもザワッとしたようだった。中下がにやにやと笑みを浮かべてきょろりと見渡して、稀に見るいい笑顔を爽やかに浮かべた大村はまるで好青年のようだ。
「親戚の人?」
「リスのか」
「なんで好きな人っていってそうなるわけ? ガッコの誰かかもしんないじゃん」
変に注目を浴びているような気がして、佳主馬もあたりを見る。
「なにこの空気」
女子が集団でこちらを見ていたが、気にもせずに時計を見る。チャイムまであと10分近く。集団であれば何をしても怖くないのだから恐れ入る。
「池沢くんゆーめーじんだから」
「……なにそれ?」
「目ぇ泳いでるやついっぱいだぁ」
「別に泳がしといたらいいじゃない。なんでもいいよ」
「それにしても自覚したのかよかったなー」
「だから、なんでそうなるの」
「なっがい恋心だったな。よく相手がおまえ以外の誰かと付き合わ……あ、いや相手がフリーとは限らないわけか。そりゃそうだよな池沢だってほいほい付き合ってたわけだし」
「俺以外の誰かとか、考えるのも嫌だから止めて」
心の底から言えば、意外だったのか顔を見合わせて、おもしろがっていた表情を幾分か変えて中下が聞いて来た。
「本気なの?」
「とりあえず、どうにかなるんなら年の差をなくしたいくらいには本気。相手と対等になれるならいくらでも積むんだけど。ていうか、金で解決出来ることならやっすいんだけど」
「本気なのね」
「お金で解決することのが楽なこと多いからな。ていうか、それで解決できないことのが厄介じゃん」
「……まぁ、ね」
「誠心誠意で対応?」
「それが俺に足りてないと思うの?」
「ははは、今は思えないけど、相手、昔から知ってる相手っしょ」
「うん。いろんなとこ見られてて、ちょっと今更カッコもつけられないっていうか」
「池沢様じゃないのか」
「え、でもどんな人?」
「……長くなるよそれ言い出すと。多分、止まんない」
「三行でどうぞ」
言われて思い浮かべる。まとめる。要点。どこが好きなのか。いまここに居ればいいのに。会いたいと願う相手だ。
「ええと、あの人だから好き。あの人みたいなの、じゃなくて。あの人がいい」
「え、俺が告られてるみたい」
「きもい中下」
「ひひ」
笑う相手を軽く小突く。応えた様子もなく机のチョコレートに手が伸びる。
「つか三行にすらなってなくね?」
「まとめてみると好きの一言で表せるんだよね」
「ああ、そう」
佳主馬も手を伸ばす。包まれているナイロンを引っ張って伸ばす。また閉める。その手元を注視しながら大村が切り出した。
「客観的に、だけど。池沢の好みってちゃらついてないのが好きだと思うんだ。ミニスカとか派手な茶髪とか論外っぽい。そんで芯のある子とか、好きだよね」
言われて想像する。確かにギャルは好きではない。落ち着いた人が話しやすいから好きだった。
「俺は俺のことが好きな子が好み。来るもの拒みません。頭悪そうなのは勘弁だけど」
「中下のそれはどうでもいいけど……俺、そういうこと喋ってた?」
けれど、落ち着き?
落ち着いていたから好きになれた?
そんな条件なんて考えもしなかった。健二だから好きになった。健二であるなら細かなことはなんでもよかった。ここで迷うならば、性別の時点で諦めるべきだ。痛いほど、よく分かっている。
「んーん。何年の付き合いだと思ってんだよ。中学からさ、見てりゃわかるっての」
「相変わらず休み前は嬉しそうとか。だから親戚の人ってバレバレなんだよ俺らからするとさ」
「でも好きな人ってことは、片思い? 告ってねぇの?」
「通じてないんじゃないかな」
ことあるごとに伝えてはいるが、察しては貰えない。そういうことは期待していない。
戦いであるのなら、反射で動けるというのに、思うように動けない。勝ちも負けもなくて、ただひたすらに挑むだけの、今まで味わったことのない空気を持つ戦場。だからシミュレーションがいつまでも出来ない。
「かわいそうだな」
中下がチョコを齧りながら言った。頷く。哀れみがふんだんに盛り込まれていたようだが気にしない。意識すらされていないというのは、嫌というほど認識していた。
「それでもいいんだよ、好きだから」
「……さんざん好きなんじゃねぇのって言ってやってんのにさぁ、なーんか悪足掻いてやっと今か」
良かったなと笑う大村に、貰ったチョコを投げた。キャッチされる。ポケットの携帯が震えていることに気づいて取り出し開く。新着一件。見ていると続々と新着メールが届き出し、受信画面のせいでメールをみていられず静かになるまで机に置いた。バイブ音が響いて、机の上をヴヴヴと自ら移動して、ようやく止まった。玩具にしていたチョコを食べながらメールを開いた。
写真が添付されていた。
ぺりぺりとナイロンを伸ばしてたたむ。ゆっくりと溶ける。
「なにやって、あ、ハロウィン……?」
展開された写真をみて、思わず呟いた。
「なになに?」
「どしたの?」
聞いて来た二人に携帯を渡して二人の様子を見る。
「なにこの写メ……。馬車? で、乗ってるのはリス?」
「どこのプロの仕業?」
「ええっと、ともだち、の仕業、だと思うけど」
「誰の。あ、リスの?」
「才能の無駄遣いってこういうのだよな」
添付されていた写真にあったのは、何種類ものランタンと、凝られた細工のかぼちゃの馬車、靴を目指したのであろう物体と、かぼちゃのヒール。それからかぼちゃのりんごまである。さすがに敷物や帽子、箒と言った小道具はかぼちゃではなかったけれど、それでも主要な物はぜんぶ緑と橙で形成されていた。リスなんて、かぼちゃの皮で飾られている。
「返信するから携帯ちょうだい」
「あ、また来た。佐久間さんって人から」
「なんだろ。見せて」
受信メールをあける。これにも写真が添付されていて、本文には『蒸しました』とある。添付ファイルを展開してあけるとさらに精緻なリスが蒸し籠の中に居た。まるで中華の職人技だ。
また受信をする。今度の文面は『この後、美味しく食べました』
リスの代わりにそこに居たのはウサギ。
食べたのかこれ、と思ったが、すこし引っかかる。食べました。リスのあとにウサギ。食べた? この人の前での行動を思い返してはみるものの、とくに思い当たることはなかった。ないがしかし釈然としないまま眺めていると、健二からメールが届いた。
即座に開くと、そこにあったのは先ほど送られてきたものの配置を考えつくされたであろうかぼちゃの王国だった。ろうそくに灯がついていて、窓は暗い。凄いが何してるんだろう、この人たち。もしかして夜通しやっていたのだろうかと掠めた。
「なににやついてんの?」
いつのまにか正面で椅子に座っていた大村が呆れたように言った。
「……ねぇ、池沢さん、僕って言うんですか」
後ろにまわっていたのは中下で、反射的に携帯を閉じた。
「ちょっなに勝手に見て」
「いや、後ろ立ったら見えただけで、面白そうな顔してっからどんな写真なのかなと思っただけで……ごめん悪気はない!」
「猫かぶり?」
「ウサギだし、俺」
「そうだけどそういうこと言ってんじゃなくてね。ウサギの皮かぶった猫か」
「俺、こういうイベントどうでもよかったけど、結構好きかも」
そこでチャイムが鳴った。担任はまだ来ない。
佳主馬は中下を追い払ってをもう一度見る。
かぼちゃの王国は胃袋の中へと姿を消していったらしい。しばらく見るのも嫌だとあって、言い方まで想像できて佳主馬は笑った。