孤独の夜を歩く

 

 

 みーん、と蝉が鳴く音がして、健二はキーボードを打つ手を止めた。
そろそろ日もくれるという夕方に、最後の鳴き声だとばかりにひどく寂しく聞こえた。
(夏も終わり、か)
 健二の自室からは夕闇に照らされる町並みが見える。
 長野からは栄の初盆が終わってから戻ってきていた。いつまでもあの場所に自分が居ていいとは思えなかったし、なによりも人の密度が濃すぎて普段はあまり人と関わらない健二からするとすこしばかり眩しすぎた場所だった。
それと同時に羨んでしまう場所で、どうして自分にはおなじものが持てないのだろうとたとえそれが誰かのせいではないとしてでも、妬んでしまいそうな場所でもあったからだ。そして自分に異質さを感じずにはいられなかった。
まぁ、でも。
(たのしかった、なぁ。うん、家族って、あんなのなのかぁ)
うかつな自分の行いで想像を絶する事態に陥ったけれど、あの騒動に自分が関わることが出来てよかった。
数字にとらわれている健二にとって、あのパスワード突破は心が躍ることであった。そこに人の命や社会の混乱という結果があったとしても手をだしてしまう自分を愚かしく、けれどまた同じことがあれば間違いなく暗号のような数字の羅列を解いてしまうのだろう。数列に自分は焦がれる。どうしようもなく。

 まず、東京へ戻ってきてから健二が最初にしたことは自宅のパソコンからOZに接続し、事情を友人や知り合いに話してまわることだった。両親へはそれぞれ、長野からすでにしていた。
携帯が繋がらなくなりテレビで顔写真が出たときは卒倒した、とは母で父からは子供は親に心配をかけるもんだがおまえのそれは度を超している、と言われた。
二人とも、自分が無事であったことを喜んでくれたので普段からあまりそういうことを言われなれない健全な17歳は大いに照れた。親に愛されているとわかると無条件に安心してしまうのはまだ子供だからだろう。そして健二はそれに問題を感じない。父と母の間でなにがあろうと、自分の両親はその二人で、そして二人からはきちんと愛されている。ならばそれでいい、愛してくれてさえいれば。たとえ欠けているものを自覚しようと、それはそれだ。自分達はそれでやってきた。
友人関係は、どう考えても大きなニュースになりすぎており長野からは出来なかった。あの、あたたかな空間に自分のことを持ち出す気にはならず、自分が落ち着いてからにしようとおもいます、と答えれば直美に他人行儀なことねぇといわれ曖昧な笑みを浮かべてごまかしはしたが、なにせ17年つきあってきた自分の性格はそんな一朝一夕でなおせるものではない。
それでも、あの夏を超えて。
ちょっとはマシになった。というか、たぶん。自信というものがついたのだ。よくもわるくもあのコードを解いた影響は大きい。

 さて、あの夏以降、健二は一躍時の人となった。
全国的に考えるのならば健二の顔を知るものなどほんのわずかだ。が、それは全国的にみればのことで、健二のまわりはそんなに広いものではない。
目隠しされた写真のどこまでが個人を隠すことに役立つというのか。
学校やOZでの友人、両親には自分はあの写真で一発でわかるだろう、なにせ陣内の小さな子供達ですらあれで自分だと一発で見破ってしまったのだから。
未成年者保護法はいったいどこへいった。もしくは少年法。疑わしきは罰せとでもいうのか。人権というものは守られるものではないのか。いくら混乱していたからと許されるものなのか。しかし、それもこれもメールに返信をしてしまった自分の落ち度だと言われればなんとも言えない。怪しいものには手をださないのが暗黙のうちにネットにはある。
だからパソコンをウィルスなどから守るには妙なファイルをダウンロードしないことが鉄則で、そういうわけのわからないものには関わらないようにするのがインターネットでの自衛だとは解っている、ただそういうことをしてしまう者は多数いるわけで、そしてまさか自分がおなじような状況におかれるとは想像もしていなかった。
テレビも誤報であったと放送はしたけれど、自分でも説明のために黄色でぶさいくといっていいリスでメールを送り出した。
もともと健二が使っていたアバターはラブマシーンに乗っ取られ、最終的にはキングの拳で砕かれてしまったから取り戻しようがなかったし、あの夏を一緒に乗り越えて陣内家の人と交流をした小さな黄色のリスに愛着を感じてもいた。
 自分の為に佐久間がつくり、それで陣内家の人と共に戦った。
過ごした時間はまえのアバターと比べるまでもないが、せっかくだからそのまま使おうと本登録をしたその黄色の小さなリスは忙しげに動いてあちらこちらへとメールを配達して回った。
そうしたら、だ。返信がどっときた。
色々と書かれてはいたが要約すると、キングカズマの知り合いであったのかや、どこで知り合ったのか、花札でラブマシーンと対決をしたナツキとはどういった関係であるのか、そのリスでケンジはなにをやったのか、ていうかなんでそのリスの形をチョイスしたんだといったような内容が送り返されてきて、そのなかに一つとして悪意のある内容がないことにほっとはした。やってもいないことで犯人扱いされるのは気持ちのよいものではなかったからだ。
それがたとえ悪意のないものでも、あれは不愉快に感じる部類の出来事だった。
だから安心して息を吐いた。
吐いたはいいが、まさか自分も関係者として扱われているとは夢にも思っていなかった。数列を解読しただけなのにという認識は甘かったらしい。
そして良く知った人には、自分が暗号を解いたことを看破されていてうろたえたが、それでも理由を考えてみたら納得はできた。なにせあのメンバーのなかでいて、それでいて健二がどうにかできそうな分野というと、それくらいしかなかったもので。

 振動音がふと、部屋に響いた。
(けーたい?)
ぴこん、という小さな音がパソコンからも鳴る。
まずベッドへほうりだしていた携帯をとり、画面をみると赤いジャケットを着たウサギが、つまりキングがメールを届けにきていた。ので、思わず布団のうえ、両手で携帯を握りしめた。
夏に知り合うことが出来た年下の友人がキングのなかの人だとわかってはいる、わかってはいるのだが、あのキングカズマが自分へとメールを届けにきたと思うとそうなる。
初めて来たときは慌てすぎて携帯を投げ出しそうになったくらいだ。それを見ていた本人には笑われた。
健二が落ち着きなくてほんとすいませんと言いたくなるくらい落ち着て静かに笑っていた。
本文を表示させながらパソコンの前へ戻る。
こちらも同じようにキングのマークが飛び出していた。
(チャット?)
待機モードだったケンジを動かして、そこへぴこん、と音を鳴らしながら入室した。
カズマは座り待っていて、ケンジはその前にいき同じように座った。

「はい、佳主馬くん? どうしたの?」
「おにいさん、いまだいじょうぶ?」
「うん。メールかたづけてただけだから。あ、あとアバターの設定とか」
「ああ、携帯だけじゃアバター触るの難しいもんね。ケンジにはもう慣れた?」
「もともと使ってたAIをケンジに馴染ませるところからかなぁ。前のに使ってたのだから結構直したいところがある・・・けど、すぐには難しいね」
 OZのアバターはその多様性が売りである。だから様々な姿をさせることが可能だし、仮想空間OZにはステージも豊富で生産系やRPG系、売買系にギャンブル系等と用意されている。
 人と違う自分になりたいとオリジナリティを出そうと思えば、アバターへAIを組み込ませることも出来て、そのあたりがさらにファンを増やす一因となっている。
成長するアバター、本人のように思考し判断することも可能なアバター。文字通りの分身、家族。
 組み込むプログラム自体に使用されている言語は難しいものではなく、公式にも数十種類用意されているし、ネット上では様々なAIが無償有償問わず公開されているから組み込んでいない者を探す方が難しい。
プログラムを少しでも書ける人間ならば健二や佐久間のようにオリジナルを使い、おそらくチャットの相手である佳主馬も自分のキングには組み込んでいるだろう。でなければ、マーシャルアーツで勝ち続けることは難しい。そして良いプログラムが書けたからといって勝てるものでもない。本人の才能とセンスが絶対的な要素で、だからこそ健二は最底辺あたりをうろついている。佳主馬からマーシャルアーツに必要なステータスバランスの取り方を教えてもらい組み直しはしたが、それだって実践だとどうなるかは解らない。佳主馬はそれでもいいから今度やろうと誘ってくれているが。
 贅沢だなぁと思う。だってキングが、ぼくの相手をしてくれる。夏前では考えられなかったこと、今はその距離が嬉しい。弟が居て、その弟が自分に懐いてくれていたらきっとこんな感じなのだろう。想像でしかないが、それは健二をふわふわと浮き立たせる。
「携帯にもメールしたんだけど」
「あ、メールみようとしたまんまだだ。ごめんちょっと待ってね」
答えながら、さきほど開封だけはしていたメールを確認する。
タイトルは『これあげる』という文字で本文にはなにも書かれていない。
添付されていた写真を展開する。これって、なんだ?
シリアルナンバーが写真で表示されて、その上にはマーシャルアーツの案内がって
「ちょ、佳主馬くん!」
「あ、みた? おにいさんOMC好きって言ってたでしょ? だからあげようとおもって」
マーシャルアーツの観戦にはチケットが必要で人気の組み合わせだとその入手は困難を極める。
プレミアがつくチケットもあるし、リアルと同じようにダフ屋が売買していたりもする。
別にスタジアムに入らずとも実況中継で外から見ることができるように、という配慮もあるのだがファンならば席について見たいものだ。なにせキングの戦いは熱狂してしまう。魅了されてしまうといっていい。
特に今回、佳主馬から送られてきたチケットは、チャンピオンベルトの争奪戦だ。
ルールは簡単、最後に立っていた者が勝者。それがベルトを持つ者でキング。誰でもエントリーが出来るバトルロワイアル。
開催日未定でエントリーだけは混乱が治まる前から受け付けていたが、ある程度騒ぎが落ち着いたのでとうとう日時が決まったらしい。
誰にでも解るやり方とベルトの行方はだからこそ過酷で、ラブマシーンで浮いたベルトの争奪にふさわしい。
あの騒動でランキングはめちゃくちゃになっている。腕に覚えのあるものは皆ラブマシーンに挑んでいったからだ。だから、従来のようにランキングを利用したトーナメントは出来ない。サーバの巻き戻しをし、元の状態に戻すといった案もあったと佐久間からは聞いたが、OZはこの騒動をなかったことにせずに前を向いて立ち向かうことにしたらしい。
それが良かったのか悪かったのかは健二には分からないが、あの夏がなかったことにされなかったのは、うれしい。
 健二もチケットの応募はしていたが、しっかりと外れていて、だからスタジアムの外で中継を佐久間と見る予定をしていた。
「関係者席だよー。目前ばっちし。佐久間さんとでも一緒に、どう?」
「佐久間って・・・涙流して喜ぶとおもうけどあいつ・・・」
「え、泣くの・・・」
「いやいやマジで。ぼくら大好きだもんキングの戦い。スピードがあってかっこいいよね」
「それを僕に言うのおにいさん」
「佳主馬くんに言わないで誰にいうのさ。キングかっこいい。じゃ、なくて! ぼくなんかがそんな大切なチケットもらってもいいのかなと・・・もっとだれかふさわしい人が」
いるんじゃないの、と書こうとして止められた。
「いいから、受け取ってよ。いらないならそのまま捨ててくれてもいい」
ウサギがどこかふてくされたようなエモーションをだしている。それを見て少しだけ焦る。
「え、」
「だってそれおにいさんに渡そうと思って準備したやつだし。おにいさんがいらないんなら僕もいらない」
「い、いらないわけないよ! 間近で観戦したい、です。ありがとうございます。もう目一杯応援してる。お礼、は。ぼくに出来て佳主馬くんに出来ないことのほうが少ないんだろうけど・・・あっそうだ。東京きたら観光案内したげる」
「お礼とかは別にいいんだけど。おにいさんが東京で僕と遊んでくれるんなら喜んでいく。ああ、あと、応援してくれるんならあれゆってよ」
ディスプレイのなかにうつるキングは機嫌が良さそうに、至極気軽にあれ、といった。
「あれって・・・なに?」
「おにいさんがあのときに言ったやつだよ。それが今も頭のなかでずっとリピートされてんの」
「あのとき、ねぇ。んー?」
健二が佳主馬と共通する思い出と言うと夏の出来事しかない。それ以前は知り合いですらなかったのだから当然の話だ。
そして応援としてマーシャルアーツの前に言われたいと思うこと。
「ああ、『まだ負けていません』的なそんなかんじの?」
「うん」
「ぼくの応援とはいいがたいなぁこれ。だってさ」
佳主馬が頭の中で繰り返されているという台詞は、健二にも言える。ただ、健二の場合は陣内栄の声と口調で繰り返されているだけだ。
諦めるんじゃないよ、とひたむきにあの人が言っていて、それを聞いて健二は自分に出来ることをしようと決意した。
あれがなければ自分は戦いの場で立つことすらできなかっただろう。
「それがいい。だってね、僕たちはその言葉を、諦めるなってずっと聞いて育ってきてたんだよ。なのに、あのときにそれを言えたのはおにいさんだけだった。そりゃおじさんはひたすら打ち込んでたけどあれはあれで事情があったみたいだし」
 侘助はあらわしの軌道が変わらなくてもあの場を動かなかったに違いない。
動くそぶりなどみじんも見せなかった。そして佳主馬は自分が最後までともに残ろうとしていることに気づいた。
健二はただ、陣内の人間だと認めてくれたあの人に報いたかった。家族だと言ってくれたあの人に。
あの家の人は誰も彼もが一人にはしない。してくれない、させてくれない。一人ではない。
この少年だって陣内の屋敷で気づけば横に居てくれて、くすぐったい気持ちにになった。自分に懐いてくれている年下の友人のことが健二は好きだった。そんな相手に応援して、と言われている。そんなのは言われるまでもない。
自分の言葉が必要だと言ってもらえるのは、嬉しい。両親は愛してはくれるが、ある一定のところで言葉は拒絶される。
愛して愛されたいけれど、両親共に好きではあるけれど、それだけではあの人達はもうやっていけないのだ。
「僕は、思い出したくもないけど負けて頭がそれいっぱいで押しつぶされてて・・・あんな解りやすい絶望もないよね。って、まぁラブマシーンには負けっぱなしだったんだけどさ。もう今でも悔しい。ラブマシーンに負けたことが、じゃなくて、なんか違うくて、うまく言えないけど」
まだ何か書き込もうとしている佳主馬を遮る形で一気に打ち込んだ。そのままエンター。
「あんな状況になったら、誰だってそんなになるよ。みんな自分のことで手一杯、言い換えたら自分がやるべきことをやっただけの、ホラ、キングは佳主馬くんはぼくからすればチャンプでかっこいいんだけどね! けど、いっちゃえば中学生だし。あの場じゃ、そうなるよ。そんで、ぼくもそこだったから、ぼくの出来ることをできたんだと。そんであれはやれることをそれぞれがやるべきときだったでしょ。あれで思い悩むことって、なくない?」
戦えるからといって送り出したのは自分達年長者なのだ。
「・・・・言ってくれるじゃん僕に」
画面のなかのウサギが面白くなさそうな表情を作る。
対してリスはへらりと笑っている。こちらはいつも通りで、良く似合う。
「おにいさんなんか、たよりなさそうなくせに。なんでこんなたまーにだけしっかりしてんの」
「数学オリンピックも落ちちゃうしねぇ。数字以外にあんまり興味も持てないんだけど、まぁそんでもさ、これでも君より長く生きている」
「4つ、だっけ。僕との差」
「ぼくが17歳だから、そうだねぇ」
「追いつけないの、スッゲ悔しいんだけど」
「はは、こればっかりは仕方ないねぇ。佳主馬くんはぼくに出来ないこといっぱい出来そうだから気にもしなくてよさそうだけど」
どうしようか、タイピングの手を少し止めてコマンドを打ち込む。ケンジが明るい表情になる。
カズマは腕をのばして、ケンジを撫でる。ケンジが眼を細めてしっぽを抱きしめた。これは自立だ、健二はなにもしていない。
現実世界ではぼくのほうが年上で、身長も逆なのにアバター同士で見るとまったくの逆だ。
「それでその年上のおにいさんは僕のお願いごとを聞いてくれるの?」
「ぼくのそれでいいのかなぁって思うんだけど」
そう打ち込めば間髪いれずにレスがくる。
「おにいさんのがいい!」
「そ、そんなに? あのね、諦めちゃだめだよ佳主馬くん」
「うん」
「あとそれから、マーシャルアーツ、すごく楽しみにしてる、チケットありがとうね」
「ん、こっちこそありがと。おにいさんが見ててくれるなら二度と半端なことしない。あれはあれで僕は消化するから、まぁ見ててよ」
「消化?」
「あ、夕飯だって呼ばれた」
「いってらっしゃい」
「そういえば、母さんがおにいさんとこに食料送るから住所教えてって」
「えええ、ほんとに?!」
「だから僕の携帯に住所おくって」
わかった、とエンターを押すより前に、それじゃあね、と佳主馬がログアウトしていく。
それをみて、置いていかれるような、取り残されるような。
(さみしい、って確かこんな気持ちだ)
 夏が輝かしかった。恋しかった。いつもどこかで誰かが居た。こんなふうに一人ではなかった。
こんなことを思っているのは秘密だ。一人で抱えていたらいい。自覚すらなかった、埋めようのない寂しさを。

 窓の外を見る。
夜が世界を覆う。長野の明るかった夜とは違う、人工の光が輝く夜。